舘の山公園
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舘の山公園(大鳥城跡)
源義経の郎党、佐藤継信、忠信兄弟の父信夫庄司(湯庄治とも)佐藤基治(元治)の居城「大鳥城」跡(鵬城、丸山ともいう)である。
南には小川、北側には赤川、東には摺上川と3つの川が流れており、大鳥城の堀の役目を果たしている。 山頂部には主郭、その西側には櫓跡と呼ばれる郭が存在する。山頂部は1995年の発掘調査により(福島市埋蔵文化財発掘報告書第 号 大森城・大鳥城2)14世紀の輸入陶磁器等が出土、後世の造営と考えられる。 佐藤元治在城中の居館は、現在大鳥中学校、飯坂球場(赤舘という地名が残る)が立地する東山麓部分にあったものと推定されている。 そのさらに東側には大門の地名が残っており、大鳥城への大手門があったと推定される(現在は温泉集会所、大門の湯が存在する)。
文治5年(1189年)8月、佐藤基治以下主だった将が石那(名)坂において陣を敷き、源頼朝率いる奥州征伐軍と戦って敗れる(石那坂の戦い)が、その際に大鳥城も落城したとされる。
佐藤一族はその後赦され、本領の大鳥城にしばらく居城していたと考えられる。以後13世紀に入り、伊勢地方に転封(吾妻鏡)となり一部は、郷士となり飯坂の地に残った(大鳥城記)、全国佐藤姓の源のひとつ。