興遼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1029年、(後渤海国の滅亡(1018年)のわずか11年後)、渤海国太祖の七世の孫、遼国東京将軍の大延琳が、民衆の苦しんでいるのに乗じて遼に反乱、東京遼陽府で独立、満州の地に「興遼国」を建国した。
東京遼陽府は、10世紀に契丹によって渤海人が集住させられ(詳しくは東丹国の項を参照)、文化的にも栄え、その繁栄は満州地域に数々の渤海系の国家が興亡していた頃からモンゴル時代まで継続し、まさに都市民化した渤海人の一大中心地であった。
年号を天慶とし、天興皇帝と称す。女真族も合流して反乱規模は拡大した。
翌1030年、興遼国は遼に鎮圧され、大延琳は囚われ、滅亡した。 この後、1116年に大渤海が建国される。