織田長政 (大名)
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織田長政(おだ ながまさ、天正15年(1587年) - 寛文10年2月18日(1670年4月7日))は江戸時代の大名。大和国戒重藩主。織田長益の四男。通称は荘蔵、ト斎。官位は従五位下、丹後守、左衛門佐。
天正15年(1587年)誕生。徳川家康の小姓となり、3000石を与えられる。慶長10年(1605年)4月16日、従五位下丹後守に叙任、後に左衛門佐に改める。
元和元年(1615年)8月12日に父長益から大和・摂津国内で1万石を分け与えられる。長政は大和国式上郡山口村に陣屋を設置、後に戒重村に移転した。こうして大和戒重藩は成立する。同時に弟・尚長も1万石を分け与えられており、大和柳本藩を設立した。長益の長男長孝(庶子)は既に独立した大名(美濃野村藩主)になっていたこと、次男頼長(嫡子)は豊臣家の部将であったこと、三男俊長は出家していたこと、もしくは不仲であったことから領地を分け与えられなかったと考えられる。
万治2年(1659年)12月23日に隠居し、長男の長定に家督を譲る。以後、ト斎と号する。寛文10年(1670)2月18日死去、84歳。奈良県の慶田寺に葬られる。
正室はいない。長男長定、次男政時、長女(大田原政清室)、次女(高家旗本織田貞置妻)のニ男ニ女あり。
先代: |
織田長益系長政流 |
次代: |