織田秀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
織田 秀行(おだ ひでゆき、元禄10年7月7日(1697年8月23日) - 享保11年6月18日(1726年7月17日))は、大和柳本藩の第6代藩主。第4代藩主・織田秀親の四男。生母は寺井氏(清蓮尼)。通称は虎丸、求馬。官位は従五位下伊予守。
1719年2月12日先代藩主・織田成純の養嗣子となる。同年2月28日将軍徳川吉宗に御目見する。1724年12月3日養父成純の隠居により、家督を相続した。同年12月18日従五位下伊予守に叙任する。1726年6月18日、30歳で死去した。法号:巌光院殿本照宗能大居士。
正室は山口弘豊の娘(離婚)。子女はいない。末期養子として織田信方(織田信清の三男)を迎えた。
先代: |
織田長益系尚長流 |
次代: |