縄文杉
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縄文杉(じょうもんすぎ)は、屋久島に自生する最大級の屋久杉。屋久杉を代表する古木として著名である。縄文杉を見るためには、荒川口登山口より片道4時間以上の登山が必要となる。現在は保護のため木の周りには立ち入ることはできない。
1966年、当時、屋久町役場の観光課長だった岩川貞次氏により発見され広く紹介される。発見当初は大岩杉と呼ばれていた。縄文杉名前の由来は、当時推定された樹齢が4000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある。
周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから当初、樹齢7000年以上と推定され話題になった。しかし、その後の調査で古木の周囲を3本程度の若い木が融合して包み込んでいる合体木である可能性が浮上し、外側の若い木の部分の年代測定では樹齢約2700年と判定された(芯部の古木は樹体保護のため未調査)。ただし、鹿児島大学農学部が縄文杉のパーオキシダーゼをアイソザイム分析した結果、縄文杉は合体木ではなく一つの木であることが証明されている。また、調査によって倒木更新の痕跡も発見されている。 また約7300年前[1]に鬼界カルデラから広がった幸屋火砕流によって、屋久島を含む九州南部諸島の大型植物は全滅したと考えられており、縄文杉の樹齢は古くとも4000年以上はさかのぼらないとするのが定説になっている。一方で、後代に持ち込まれた記録の無い猿などの大型動物が現存していることから、屋久島全体が火砕流に飲み込まれたのではなく一部の動植物は生き延びたのではないかとする意見もある。
- 幹周:16.1m
- 樹高:30m
- 推定樹齢:3000年以上(2500年説もあり)