稲葉景通
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稲葉 景通(いなば かげみち、寛永16年(1639年)4月 - 元禄7年閏5月20日(1694年7月12日))は、豊後臼杵藩の第5代藩主。父は第4代藩主・稲葉信通(景通は長男)。母は織田信良の次女。正室は有馬忠頼の娘。官位は従五位下。右京亮。
1639年4月生まれ。幼名は虎助。1673年、父の死去により後を継ぐ。民政に尽力して善政を施し、城の整備や海岸整備、港町整備や新町の開発などを行なって藩の確立を期した。さらに人事制度においても地方知行制を廃止して寺社奉行、小姓頭、勘定頭などを設置して藩政の刷新を図った。1694年閏5月20日、56歳で死去し、後を弟の稲葉知通が継いだ。墓所:臼杵市の月桂寺。
臼杵藩中興の名君と言われている。