福島FC
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1951年に「福島教員サッカー部」(県教育委員会直轄)創部。1982年に国民体育大会のサッカー競技から教員団大会が無くなったのに伴い一般にも門戸を開放して現在のチーム名となる。
1993年のJリーグ開幕をきっかけに福島県でもJリーグ招致をという動きが活発になり、福島FCも1995年の国体開催終了後のJFL参戦を目指そうという計画が具体化したが、その前年1994年度の東北社会人リーグ優勝、地域リーグ全国決勝戦でも2位に入り国体開催年のJFL入りを決定する。
1995年のJFL入りに際しては、単一チームだと両大会に出場することが困難なので、チームをJFL用、国体用の2班に分けて活動し、JFL用のチーム編成ではJリーグ経験者も招聘した。
1996年に元ジェフユナイテッド市原監督の永井良和を監督に招聘、プロ選手も本格的に補強し、Jリーグ参戦を念頭にしたチーム作りを始め、1997年にJ2リーグの参加申請を行ったものの、郡山市の開成山運動公園陸上競技場、西部サッカーグラウンドの改修やチームの財政支援のメドが立たなかったことなどからチーム経営が悪化。この年の11月にチームの解散を決定し、J2はもちろん1998年度以降のJFL参戦も撤退することになった。
現在福島FCでかつてプレーしていたアマチュア選手(1995年の国体用チームの大半が所属)を中心に結成された「FCプリメーロ」が鏡石町をホームタウンにして活動しており、将来のJFL参戦を目指している。
目次 |
[編集] 歴年成績(JFLにおける成績)
- 1995年 13位 (11勝19敗)
- 1996年 14位 (7勝23敗)
- 1997年 10位 (13勝17敗)
[編集] 主な在籍選手
[編集] 外部リンク
- PRIDE of FUKUSHIMA(福島FCの紹介サイト)