石井久
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石井久(いしいひさし、1923年5月13日 - )は、日本の実業家。立花証券の父として知られる。
[編集] 略歴
13人兄弟のうちの7番目の五男として福岡県筑紫郡大野村(現大野城市)牛頸(うしくび)の農家藤井家に生まれる。地元の尋常高等小学校を卒業ののち、昭和13年(1938年)4月に渡辺鉄工所(九州飛行機)に入所。8年後の昭和21年(1946年)8月に弁護士を志して上京するが、警視庁警察練習所に入所、のち昭和22年(1947年)3月をもって24歳で巡査となる。同年11月に5歳年下の石井愛子と結婚、石井姓へ。警視庁を退官ののち昭和23年(1948年)6月に東京自由証券株式会社に入社、株式新聞の記者などを経て、昭和28年(1953年)3月29歳のときに石井株式研究所を創立する。同年9月に江戸橘証券株式会社を創立、昭和32年(1957年)6月には立花証券株式会社を買収し江戸橘証券とこれを合併、4年後の昭和36年(1961年)10月には同社の取締役社長に就任、昭和63年(1988年)12月には同社取締役会長に就任する。その後平成12年(2000年)の6月をもって同社取締役相談役に就任、現在にいたる。
[編集] 人物
高橋亀吉を最高の師と仰ぐ。清水一行の作品のひとつたる経済小説『大物』のモデルともなった。平成元年(1989年)には高額納税者番付で第2位となった。また同年に私財を投じて設立した財団法人『石井記念証券研究振興財団』は、現在も株式市場や証券市場の研究に対する助成金の給付、また同分野の学生や研究者に対する奨励金の支給などを行っている。そのほか、大野城市の平野神社(彼の故郷牛頸地区に所在)の現在の社殿は1990年代初頭に総改築されたものであるが、平成の大改築と呼ばれるこの改築は彼の賛助により行われたものであり、その境内左手に設けられた碑は彼の祖霊を祀っている。