直観
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日本語の直観(ちょっかん)は、仏教用語の直観智に由来する。
以下の文章の初版は、英語版ウィキペディアの“Intuition”の項目07:38, 21 Dec 2004の版からの訳である。
直観は多くの文化にまたがって、以下の意味を含んでいる。
- 過去の経験と経験的知識から独立した、迅速かつ即時的な洞察
- 直接的な理解、あるいは認識
- 直観により得られた知識、あるいは確信
- 明白な合理的思考や認識なしで直接に知識や認識に達するための、力あるいは能力
- 無意識の知覚
直覚する(to intuit)という動詞は、直観による把握の意味である。
直観は経験に基づいた見解と完全に同じものではないが、過去の経験から無意識に形成されたものかもしれない。直観による見解を持つ人間は、その見解に至った理由を完全に説明することはできない。
直観とは無意識的な知識の形式であり、合理性・分析性を受け入れない直接的な思考過程であり、経験的な要素を持たないこととは本質的に異なる。直観はドレイファス兄弟の技術習得モデル(訳注:ドレイファス兄弟により提唱された、技術の習熟度が上がるにつれ、人間は専門的知識より直観的理解に頼るとするモデル)の、もっとも高度な形式である。
複雑に入り組んだ問題を解決し、新たな結果を見つける場合には、直観は有効である。
直観は、常識の源のひとつであり、経験的知識の獲得への誘導を手助けする。直観の源は、感覚と経験、知識である。
有力な直観的手法としては、ブレーンストーミングがある。
直観は、速やかな解決策をもたらすものではない。一晩の睡眠は、しばしば直観の手助けとなる。ロシアの古い格言にいわく、「朝は夜よりも多くの事を知っている」。
直観型は、マイヤーズ・ブリッグスのタイプ分類法の四つの主軸の内の一つである。
[編集] 西洋哲学における直観
西洋哲学(philosophy)において、直観は直感と区別された用語である。一方で、直感は感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、「第六感が働く」や「感で答える」のような日常会話での用語を指す。他方で、直観は推理を用いず直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、認識論上の用語として用いられる。その混同は注意されることが一般的だが、研究者のなかにはこだわらない者もいる。
真理のように見えるが、我々の直観を破るような状況はパラドックスと呼ばれる(パラドックスとは論理的自己矛盾でもある)。例えば、誕生日のパラドックスがある。
イマヌエル・カントの哲学では、直観は基本的な認識能力のひとつであり、曖昧に知覚と呼ばれているものと同義である。われわれすべての精神が、空間の形相においては外的直観を与え、時間の形相においては内的直観(記憶、思考)を与えるのであると、カントは考えた。
すべての数学の知識は、直観の純粋な形式についての知識であるとするカントの主張に由来するのが、数理哲学における数学的直観主義である。
直観主義論理は、反実在論と同じく、数学に関する直観主義を提供するために、アレン・ハイティングやルイツェン・ブロウエル、最近ではマイケル・ダメットにより考案・推進されてきた論理学のクラスである。これらの論理学の特徴は、排中律を退けていることである。結果としてこれらの論理学は、選言的三段論法や背理法のような規則の大部分を受け入れてない。