王鳴盛
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王鳴盛(おう めいせい, 1720年(康熙59年) - 1797年(嘉慶2年))は、中国の清朝の考証学者である。
字は鳳喈、礼堂、あるいは西荘と号した。また、晩年の号は西沚。江蘇省嘉定県の出身。
幼少の頃から、経学を恵棟から、詩文を沈徳潜から学び、1754年(乾隆19年)に進士及第した。官は、内閣学士、兼礼部侍郎にまで進んだが、失脚し、帰郷して蘇州で処士として後半生を過ごした。
学問的には、樸学(漢学)を志し、経学においては、鄭玄を理想とした。史学では、経学の手法を応用して、正史の異同を精査し、また小説・野史・金石文までも当たって考証を重ねた。
[編集] 主著
- 尚書後案
- 周礼軍賦説
- 十七史商榷
- 蛾術篇
- 耕養斎文集
[編集] 伝記資料
- 清史稿巻487
- 清史列伝巻268