王ウ (高麗王)
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王禑(おうう、1363年-1389年)は、第32代高麗王(在位1374年-1388年)。姓は王、名は禑。前廢王、禑大王。初名は牟尼奴[1]。恭愍王と侍婢 般若の子。
『高麗史』(1451年成立)では王に仕えた寵臣辛旽の子であるとして、李成桂の命により廃位、殺害となっている。辛旽の子という意味で辛禑とも卑呼される。高麗史(1451年編纂)では、禑王は正統な王位継承者ではなく、王位を禅譲された李成桂が正当な王位継承者とされているが、この記述は疑わしいことされている。
[編集] 参考文献
- 高麗史135卷 列傳48 辛禑
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