牧野忠寛
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牧野 忠寛(まきの ただひろ)は、江戸時代の大名。越後長岡藩の第8代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 寛保元年8月29日(1741年10月8日) | |||
死没 | 明和3年6月30日(1766年8月5日) | |||
別名 | 東彦松、吉五郎(幼名)、牧野貞寛(初名) | |||
戒名 | 徳樹院前駿州植誉本成義天大居士 | |||
官位 | 従五位下、駿河守 | |||
藩 | 越後国長岡藩主 | |||
氏族 | 牧野氏 | |||
父母 | 父:牧野忠周、母:大原仙蔵の娘・もせ | |||
兄弟 | 弟:慶三郎、妹:幸君 | |||
妻 | 正室:大岡忠光の娘・長君 | |||
子 | 2男3女(牧野忠精、有馬氏保、 娘(牧野忠知室)、娘(堀川広福室)) |
1741年8月29日、第5代藩主・牧野忠周の子として江戸屋敷で生まれる。1755年、第7代藩主・忠利の死去により養子として後を継ぐ。このとき、幕府に15歳を20歳と偽っている。12月に従五位下、駿河守に叙任する。しかし藩政においては藩内の大火事や大洪水に悩まされたという。
1766年6月30日に父に先立って死去。享年26。後を子の忠精が継いだ。墓所:東京都港区三田の済海寺。のち新潟県長岡市の悠久山。