熊野城
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熊野城遠景 | |
通称 |
要害山 |
城郭構造 |
連郭式山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
熊野久忠 |
築城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 |
熊野氏、天野隆重 |
廃城年 |
慶長5年(1600年)か |
遺構 |
郭 |
目次 |
[編集] 概要
熊野城は、熊野氏によって築かれた山城。尼子氏時代には、月山富田城防衛の要として重要視され、尼子十旗の一つに数えられた。
[編集] 構造
熊野城は、独立性の高い要害山に主郭を置き、山麓に延びる三方の尾根上に郭が連続する。特に東の緩斜面上には細長い郭が雛壇状に連なり,東麓の土居成と呼ばれる屋敷地に続く。
熊野城には天正年間に天野隆重が入ったと伝わるが、城跡は土塁を用いない尼子氏流築城術の特徴を良く残している。
[編集] 沿革
- 15世紀、熊野久忠により築城された。
- 永禄6年(1563年)9月、毛利元就に攻められたが、熊野氏は良く守りこれを退けた。(熊野鉄砲揃の戦い。)
- 永禄9年(1566年)11月、富田城が開城したため、熊野城も開城した。
- 永禄12年(1569年)、尼子勝久の挙兵に応じた熊野久家が奪還し、尼子方の拠点となった。
- 元亀元年(1570年)、布部山の戦いで尼子方が大敗を喫すると、諸城と共に熊野城も開城した。
- 天正年間(1573年~1593年)、富田城から天野隆重が移り、居を構えた。