源彦仁
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源 彦仁(みなもとのひこひと;? - 永仁6年(1297年)3月23日)は鎌倉時代の皇族。忠成王王子で順徳天皇の孫に当たる。母は右馬助藤原範能の娘。兄弟に彦豊王、二条良実の娘との間に忠房親王を儲けた他、承鎮法親王・守子内親王がいる。位階は正三位。石蔵三郎宮。王は永仁2年(1294年)に源朝臣の姓を賜り臣籍降下し、永仁5年(1297年)6月25日に従三位に叙される。その後正三位・中将に登る。
増鏡で彦仁は後嵯峨天皇第一皇女月花門院綜子内親王と密かに通じていたというが、月花門院は園基氏の子、頭中将園基顕とも関係を持っていたとされる。月花門院はその後文永6年(1269年)に薨去するが、堕胎の失敗という。尚、増鏡の記述では四辻彦仁となっている。
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