清原夏野
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清原夏野(きよはらのなつの、延暦元年(782年) - 承和4年10月7日(837年11月12日))は平安時代初期の貴族、政治家。
舎人親王の孫小倉王を父として生まれ、初めの名乗りを繁野王といった。延暦23年(804年)、父の小倉王の上表により清原真人姓を賜り臣籍降下、後世に続く清原氏の始祖となる。官職は従二位、右大臣まで昇進し、双岡大臣、比大臣、北岡大臣、野路大臣などと、幾通りもの呼び名をもって知られた。
学識の高さや政治・経済に対する確かな見識をもって朝野の信任篤く、天長9年(832年)には私財を投じて播磨国に魚住泊を建設。朝廷はこの事業の重要性を認め、最終的には公金をもって助成を行っている。
また、翌天長10年(833年)には、淳和天皇の勅に従い菅原清公らとともに令義解を編纂し、法制史にも大きな足跡を残している。
後世、清原氏はこうした夏野の業績を深く一門の誇りとし、史上において学問や文芸に秀でた人物を輩出した。
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