浦上成宗(うらがみしげむね 天正元年(1573年)? - 寛永13年(1636年)7月20日?)は宇喜多氏の家臣。通称、与五郎・太郎三郎。浦上宗景の末子という。
天神山落城後、高取備中守に預けられたという。高取はその後宇喜多家に仕え、3000石を知行したという。 高取に養育されて元服し浦上太郎三郎成宗と名乗り、高取の娘を妻とした。1600年、高取備中守が関ヶ原の合戦で討死するとそのまま土着したという。 寛永年間に死去。
カテゴリ: 戦国武将 | 1573年生 | 1636年没