水野勝岑
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水野勝岑(みずの かつみね、元禄10年2月10日(1697年3月2日) - 元禄11年5月5日(1698年6月12日))は、江戸時代の譜代大名家であった備後福山藩5代藩主である。通称は松之丞(まつのじょう)。また官職名は存在しない。
[編集] 経歴
生誕直後に藩主であった父・水野勝種の後を受け遺領を継いだが、翌年に数え2歳で死去した。そのため水野氏による福山藩支配は終焉を迎えた。
水野勝岑は5代将軍徳川綱吉の治世であった元禄10年(1697年)に、福山藩4代藩主・水野勝種の七男として福山で生まれた。しかし同年8月に父が死去し、兄6人は全員早世していたため10月22日に福山藩10万1千石を相続した。しかし将軍お目通りのために江戸に参勤交代したが、長旅の無理がたたったためか、元禄11年(1698年)5月5日に死去したため、無嗣断絶した。そのため福山藩は改易となった。
その後の水野家であるが、先祖である福山藩初代藩主であった水野勝成の旧勲を鑑み、幕府は勝成の孫で分家の水野勝長に勝岑の名跡を継ぐことを許したが、大幅に石高は削減され能登羽咋郡西谷に1万石(後に結城藩1万8千石)を与えられ、水野家宗家は存続した。
[編集] 関連項目
[編集] 関連リンク
- 水野氏〔宗家〕(福山藩5代)藩主
- 1697~1698
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- 先代:
- 水野勝種
- 次代:
- 松平忠雅