毛利光広
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毛利 光広(もうり みつひろ、元和2年8月1日(1616年9月11日) - 承応2年7月2日(1653年8月24日))は、長門長府藩の第2代藩主。父は初代藩主・毛利秀元(光広は次男)。母は織田氏。正室は本多忠義の娘で、本多忠勝の曾孫である清殊院。官位は従四位下、和泉守。
1616年8月1日生まれ。幼名は又四郎。長兄の宮松丸が早世したために世子となり、1650年、父の死去に後を継いだが、わずか3年後の1653年7月2日に江戸にて死去した。享年38。後を長男の毛利綱元が継いだ。法号:長光院不二宗安。墓所:下関市長府の笑山寺。並びに泉岳寺。