横手城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|
横手城模擬天守 | |
通称 |
朝倉城、阿櫻城、韮城 |
城郭構造 |
山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
(小野寺氏) |
築城年 |
(不明) |
主な改修者 |
(戸村氏) |
主な城主 |
戸村氏 |
廃城年 |
1868年 |
遺構 |
土塁、模擬天守 |
横手城(よこてじょう)は、秋田県横手市にある城。構造は山城。朝倉城、阿櫻城とも呼ばれる。
[編集] 歴史
室町時代の後期、豪族の小野寺氏が築城したのが始まりといわれる。関ヶ原の戦いの時の城主・小野寺義道は、徳川家康に西軍方とみなされた。1601年に改易される。1602年、秋田に佐竹氏が転封されてくる。佐竹氏は一国一城令を実質的に無視。横手城を改築して、佐竹一門の戸村氏などを城代(所預)として任命、配置する。戸村氏は代々十太夫と名乗った。
石垣を用いず、代わりに斜面に敵兵が滑ってよじ登れないように韮(ニラ)を植えたため、韮城とも呼ばれた。
江戸時代末期、戊辰戦争の際には、東北地方では佐竹氏は孤軍官軍側につく。仙台藩、庄内藩の軍勢が戸村大学が籠城する横手城を攻撃。1868年8月11日の夕方、落城する。城は廃墟となった。
昭和に入り、太平洋戦争後、郷土資料館と展望台として模擬天守が建築された。しかし本来横手城に天守はなかった。ところが横手音頭に歌われたり、かまくら祭りなどの写真に度々登場したことから、すっかり天守は横手のシンボルとなっている。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日本の城 | 秋田県の歴史 | 秋田県の建築物・観光名所