植村家利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
植村 家利(うえむら いえとし)は、大和高取藩の第8代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 宝暦9年9月25日(1759年11月14日) | |||
死没 | 天明5年8月24日(1785年9月27日) | |||
別名 | 六三郎(幼名) | |||
戒名 | 観山道勇到岸院 | |||
墓所 | 東京都港区芝の如来寺 | |||
官位 | 従五位下、出羽守、右衛門佐 | |||
藩 | 大和高取藩主 | |||
氏族 | 植村氏 | |||
父母 | 父:植村家道、母:おゆの 養父:植村家久 |
|||
兄弟 | 兄:植村家久、植村家長、佐野義行 弟:要之助、隼太 |
|||
妻 | 正室:伊達村候の娘・於貞 | |||
子 | 1男(即心院)、養子:植村家長 |
1759年9月25日、第6代藩主・植村家道の四男として高取で生まれる。1778年12月に兄で第7代藩主・家久が死去したため、その養子として1779年、後を継いで藩主となる。1784年5月15日に奏者番となった。
1785年8月24日に死去。享年27。後を養子の家長が継いだ。
一説に家利の死は遊女と入水自殺と言われる。そして江戸屋敷の留守居役がその情報を抑えて病死として届けたため、弟の家長が急遽養子となって継いだものといわれている。