松平頼徳
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松平 頼徳(まつだいら よりのり、天保2年4月3日(1831年5月14日) - 元治元年10月1日(1864年10月31日))は、常陸宍戸藩の第9代藩主。父は第8代藩主・松平頼位(頼徳は長男)。母は松平保福の娘。正室は松平頼儀の三男・松平頼顕の娘。側室に三田氏。官位は従五位下。大炊頭。
1831年4月3日生まれ。幼名は豊太郎。1846年9月21日、父の隠居により後を継いだ。父と共に本家水戸藩の徳川慶篤の補佐を務めた。1864年、水戸藩で天狗党の乱が起こると、その鎮圧に当たったが失敗したうえ、頼徳にも天狗党に同情的な部分があったために幕府より責任を追及され、同年10月1日(もしくは10月5日)に頼徳は切腹、家臣の多くも処刑され、宍戸藩は改易となってしまったのである。
その後、明治時代になり、父の頼位が再封を得て、子孫は子爵に叙された。
墓所:常陸太田市の瑞龍山。