松平近形
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松平 近形(まつだいら ちかのり、享保8年9月28日(1723年10月26日) - 安永2年6月10日(1773年7月29日))は、豊後府内藩の第5代藩主。第4代藩主・松平近貞の長男。正室は牧野明成の娘。官位は従五位下。主膳正。
1723年9月28日生まれ。幼名は五左衛門。はじめ家臣の津久井氏に養われて津久井桃之助と名乗った。1728年に実家に戻っている。1745年9月18日、父の隠居により家督を継いだ。父の時代に破綻した藩財政を再建するため、倹約令を主とした法令を制定し、産業振興を奨励し、藩札の発行などを行なった。しかし幕府と道路問題から諍いを起こして逼塞を命じられたうえ、1765年には大洪水、1769年7月には大地震が起こって藩が大被害を受けるなど、藩政改革は失敗に終わった。
このような失意の中で、1770年7月21日、家督を子の近儔に譲って隠居した。1773年6月10日(6月7日とも言われている)に51歳で死去。法号:観光院。墓所:東京都小石川の伝通院。