松平宗昌
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松平 宗昌(まつだいら むねまさ、延宝3年6月23日(1675年8月14日) - 享保9年4月27日(1724年5月19日))は、越前松岡藩の第2代藩主。越前福井藩の第7代藩主。父は松岡藩の初代藩主・松平昌勝(宗昌は三男)。母は中根氏(葉津)。正室は松平頼元の娘・菊姫。側室に杉山氏。官位は従四位下、侍従。
1675年6月23日、松岡で生まれる。幼名は仙鉄。1693年、父の死去により松岡藩を継ぐ。このときの名乗りは昌平(まさひら)である。1721年に本家の藩主となっていた弟の松平吉邦が嗣子無くして死去したため、その後を継いだ。このとき、松岡藩は本家に併合されて、福井藩は30万石となった。そして宗昌と改名する。1724年4月27日、江戸で死去し、後を養嗣子の松平宗矩が継いだ。享年50。墓所:東京都品川区南品川の海安寺。西窪の天徳寺。