松山事件
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松山事件(まつやまじけん)は、1955年(昭和30年)10月18日に、宮城県志田郡松山町(現大崎市)にて発生した放火殺人事件と、それに伴った冤罪事件である。
[編集] 概要
1955年10月18日、宮城県志田郡松山町の農家が全焼し、焼け跡からこの家に住む一家4人の他殺体が発見された。同年12月8日、別件で逮捕されていた肉屋店員の男性(当時24歳)をこの事件の犯人として、強盗殺人・放火の疑いで逮捕し、12月30日に起訴された。
1957年10月29日、仙台地裁で死刑判決。1959年5月26日に仙台高裁で控訴が棄却され、1960年11月1日に最高裁で上告が棄却されたため、死刑が確定する。男性は無罪を訴えて再審請求をし、第2次再審請求が認められて1979年12月6日に再審が開始。証拠とされた男性の掛け布団の血痕は、警察の捏造であるとされた。1984年7月11日、無罪判決が言い渡され、28年7ヶ月にも及ぶ獄中生活に終止符が打たれた。晴れて無罪となった男性は7516万8000円の刑事補償金を受け取ったが、長期間死刑囚として過ごさざるを得なかったため、年金は受給されず生活保護受給者となっていた。2006年7月5日死去した。
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