本庄道章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本庄 道章(ほんじょう みちあきら(みちあき)、天和3年4月28日(1683年5月24日) - 享保10年7月27日(1725年9月3日))は、美濃岩滝藩主。美濃高富藩の初代藩主。
父は本庄道高。母は六角広賢(六角院広賢、烏丸広賢)の娘。側室に松田氏。水島氏。 官位は従五位下、和泉守。後、宮内少輔と改める。
天和3年(1683年)4月28日生まれ。元禄10年(1697年)7月11日に4000石の家督を継いだ。元禄12年(1699年)12月18日、和泉守に叙せられる。元禄16年(1703年)8月22日、宮内少輔と改めた。 徳川綱吉の生母・桂昌院の異母兄・本庄道芳の孫に当たることから、宝永2年(1705年)3月23日、6000石加増の上で1万石の大名として諸侯に列し、岩滝藩主となった。宝永6年(1709年)8月、藩庁を岩滝から高富に移し、高富藩主となった。享保10年(1725年)7月27日、43歳で死去し、後を子の本庄道矩が継いだ。