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本多 忠通(ほんだ ただみち、宝永2年(1705年) - 享保6年7月2日(1721年7月25日))は、遠州相良藩の第2代藩主。父は初代藩主・本多忠晴の嫡男・本多忠直。母は石井氏。官位は従五位下。弾正少弼。
父の忠直が本家の大和郡山藩の養嗣子となったため、1715年の祖父・忠晴の死去により後を継ぐこととなった。1719年に叙任したが、1721年7月2日に17歳の若さで死去した。後を弟の本多忠如が継いだ。墓所:東京都墨田区向島の弘福寺。