明日香皇女
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明日香皇女(あすかのひめみこ、?-文武天皇4年(700年)4月4日)は、天智天皇皇女。 飛鳥皇女とも。母は橘娘(父:阿倍内麻呂)。同母の妹に新田部皇女がいる。忍壁皇子の妻か?
持統天皇6年(692年)、八月十七日に持統天皇が明日香皇女の田荘に行幸した。 持統天皇8年(694年)、八月十七日に明日香皇女の病気平癒のために沙門108人を出家させた。
文武天皇(700年)、浄広肆の位で四月四日に死去。もがりの折に柿本人麻呂が、夫との夫婦仲の良さを詠んだ挽歌を捧げた。明日香皇女は、母が豪族の娘という身分にしては、持統天皇の訪問を受けたり、彼女の病気平癒のために108人の沙門を出家させたりなど、異例の扱いを受けている。
カテゴリ: 飛鳥・奈良時代の皇族 | 700年没