新納忠元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新納 忠元(にいろ ただもと、大永6年(1526年) - 慶長15年12月3日(1611年1月16日))は島津氏の家臣。父は新納祐久。子に新納忠堯。
島津氏の庶流の一族で、智勇に優れた名将であったことから重用された。島津貴久と島津義久の二代にわたって仕え、1562年の横川城攻めや1572年の木崎原の戦い、1581年の水俣城攻めなど、伊東氏攻めや相良氏攻めで活躍した。なお、このときの有名な逸話として、水俣城の守将であった犬童頼安と和歌を読みあいながら争ったといわれている。
島津忠良から島津氏に無くてはならない重臣としてまで評された人物であるばかりか、忠元は豪胆な人物でもあった。たとえば、1569年に大口城を攻めたとき、忠元は負傷しているにもかかわらずに戦場を駆け、その武勇は『鬼神の如し』と評された。また、1574年には牛根城にて一年以上も籠城を続ける敵将を降伏させるために、自らの身柄を人質として差し出しているのである。