新田貞觀
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新田 貞觀(にった さだみ)【維新以前は 由良 貞觀(ゆら さだみ)】(嘉永6年(1853年)1月13日- 明治14年(1881年)9月16日)は、江戸時代の高家旗本・由良貞時の次男。童名は由良乙次郎のち新田乙次郎。
江戸の由良家邸に於いて誕生。実兄新田貞善とは双生児。 慶応4年(1868)春、養祖父貞靖、父貞時と共に新田姓に復す。
明治10年(1877)に兄の跡式を相続するも、不幸にして一子小太郎貞成を残して明治14年(1881年)9月16日に29歳で卒去。
葬儀は新田由良家歴世の菩提寺、高輪台町・禅宗國昌寺にて執り行われ、埋葬された。 法号を解脱院殿本来無一大居士という。 後継新田義基(初め貞成)は嫡子。新田貞康は義子(没後に養子となったとするも貞觀との養子関係は無く、後見の為の仮当主である)。
以上、「新田家記録」などにより抽出。(新田義和 責)