新日本建設に関する詔書
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新日本建設に関する詔書(しんにっぽん(にほん)けんせつにかんするしょうしょ)は1946年1月1日に昭和天皇が発表した「年頭、国運振興ノ詔書」の通称。人間宣言ともいう。
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[編集] 概説
敗戦からの復興を前にして天皇が新年に国民にはげましの言葉を贈るという趣旨で発表されたが、後述する「人間宣言」によってむしろ有名になった。草案はレジナルド・ホレイス・ブライス(1898-1964 イギリスの文学者で詩人、1924年に来日)が作成し、企画自体は宮内庁長官田島道治によるものという。
詔書中の「朕ト爾(なんぢ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。」の部分から、人間宣言(にんげんせんげん)とも呼ばれる。
なお、昭和天皇自身は、1977年8月23日の記者会見で、冒頭に五箇条の誓文が取り入れられたことについて「神格は二の(次の)問題であり、日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったことを示すためにあれを発表することを私は希望したのです」とまで言い切っており、本来の“人間宣言”だったのかについては疑義があるとする声がある。
[編集] 現代語訳
年頭、国運振興の詔書
ここに新年を迎える。顧みると、明治天皇は明治の初め国是として五箇条の御誓文をお示しになられた。それによると、
一、広く議論をし、多くの事を世論に従い決めなければならない
一、身分の高い者も低い者も心を一つにして、盛んに国の問題に対処しなければならない
一、貴族も武士も庶民も、それぞれ志を遂げられ、生きる事が幸せである事が必要である
一、古くからの悪しき習慣を打ち破り、普遍の正しい道に基づいていかなければならない
一、知識を世界に求め、大いに国の基盤となる力を高めなければならない
お考えは公明正大であり、何も付け加える事はない。わたしはここに誓いを新たにして国の運命を開いていきたい。当然このご趣旨に則り、古くからの悪しき習慣を捨て、民意を自由に伸ばし、官民を挙げて平和主義に徹し、教養を豊かにして文化を築き、そうして国民生活の向上を図り、新日本を建設しなければならない。
大小の都市の被った戦禍、罹災者の苦しみ、産業の停滞、食糧の不足、失業者増加の趨勢などは実に心を痛める事である。とは言えど、我が国民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾平和のうちに発展しようという決意固く、その結束をよく全うすれば、ただ我が国だけでなく全人類のために、輝かしき未来が展開されることを信じている。
そもそも家を愛する心と国を愛する心は、我が国では特に熱心だったようだ、今こそこの心をさらに広げ、人類愛の完成に向け、献身的な努力をすべき時である。 思うに長きにわたった戦争が敗北に終わった結果、我が国民はややもすれば思うようにいかず焦り、失意の淵に沈んでしまいそうな流れがある。過激な風潮が段々と強まり、道義の感情はとても衰えて、そのせいで思想に混乱の兆しがあるのはとても心配な事である。
しかしながら私はあなたたち臣民と共にいて、常に利害は同じくし喜びも悲しみも共に持ちたいと願う。私とあなたたち臣民との間の絆は、いつもお互いの信頼と敬愛によって結ばれ、単なる神話と伝説とによって生まれたものではない。天皇は現人神、日本国民は他より優れた民族で、ひいては世界の支配者たるべく運命づけられたという架空の概念に基くものではない。
私が任命した政府は国民の試練と苦難とを緩和するため、あらゆる施策と運営に万全の方法を考え実行しなければならない。同時に私は我が国民が難問の前に立ち上がり、当面の苦しみを克服するために、また産業と学芸の振興のために前進することを願う。我が国民がその市民生活において団結し、寄り合い助け合い、寛容に許し合う気風が盛んになれば、我が至高の伝統に恥じない真価を発揮することになるだろう。そのようなことは実に我が国民が人類の福祉と向上とのために、絶大な貢献を為す元になることは疑いようがない。
一年の計は年頭にあり、私は私が信頼する国民が私とその心を一つにして、自ら奮いたち、自ら力づけ、そうしてこの大きな事業を完成させる事を心から願う。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 対訳“人間宣言” - 詔書の全文と英訳、記者会見の引用(一部)がある