斯波家兼
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斯波 家兼(しば いえかね、? - 1356年(延文元年/正平11年)6月))は南北朝時代の武将。斯波氏の一族。斯波家貞の子。斯波高経の弟。のちの大崎氏、最上氏の祖とされる。大崎直持、最上兼頼の父。
兄とともに足利尊氏に仕え、若狭守護を務めるなど北陸において活動し、兄と協力して新田義貞を滅ぼした。観応の擾乱の際には尊氏方に味方した。1354年に奥州管領に任命され、奥州に下向し、中新田城を拠点とした。前探題の吉良氏、畠山氏、石塔氏との対立を克服し、管領職(後の奥州探題)の世襲を確立したとされる。
なお、家兼の奥州下向年は1339年とする説もある。
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