文七元結
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文七元結(ぶんしちもっとい)は、三遊亭圓朝の創作で、落語のうち、人情噺のひとつ。登場人物が多く、長い演目であり、情の中におかし味を持たせなくてはならないという理由から、難しい一題とされ、逆に、これができれば一人前ともいわれる。『人情噺文七元結』(にんじょうばなし ぶんしちもっとい)として歌舞伎でも演じられる。 成り立ちは、幕末~明治初期、薩長の田舎侍が我が物顔で江戸を闊歩していることが気に食わず、江戸っ子の心意気を誇張して魅せるために作ったとされる。江戸っ子気質が行き過ぎて描写されるのはこのためである。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] 登場人物
登場人物は、落語版、歌舞伎版、また演者によって多少異なるが、以下にあげるものは圓朝の口述による。大まかに、物語の登場順に記す。
- 長兵衛(左官)
- お兼(長兵衛の妻)
- 藤助(吉原京町の大店、角海老の番頭)
- 女将(角海老の女将)
- お久(長兵衛の娘)
- 文七(白銀町鼈甲問屋、近江屋の奉公人)
- 卯兵衛(近江屋の主人)
- 平助(近江屋の番頭)
「角海老(かどえび)」は「佐野槌(さのづち)」と圓朝が演じた記録もある。
[編集] あらすじ
左官の長兵衛は、腕は立つのだが、無類のばくち好きが高じて、仕事もせずに借金を抱えている。年の瀬も押し迫るある日、前夜の負けがこんで、身ぐるみ剥がれて半纏一枚で賭場から帰されると、女房のお兼が泣いている。聞くと、娘のお久がいなくなったという。どうしたのかと、夫婦喧嘩をしているところに、普段より世話になっている吉原の女郎屋の大店、角海老から使いのものがくる。取り込み中だから後にしてくれというと、他でもない、その娘のお久のこと、角海老の女将の所に身を寄せている。
女房の着物を一枚羽織って角海老へ行ってみると、お久は、身売りをして金を工面し、父に改心してもらいたいので、お角のところへ頼み込んだのだという。女将は、自身の身の回りをさせるだけで店には出さないから、次の大晦日までに金を貸してやるが、大晦日を一日でも過ぎたら、女郎として店に出すという約束で、長兵衛に百両の金を渡す。
情けない思い、しかし改心しきった長兵衛が、帰り道に吾妻橋にさしかかると、身投げをしようとしている男にでくわす。訳を聞くと、白銀町の鼈甲問屋の奉公人(文七)で、お遣いに頼まれ、取りにいった売り上げをすられたので、死んでお詫びをしようというところだった。死んでお詫びを、いや、死なせねぇと押し問答が続いた後、長兵衛は、自分の娘のお久が身を売って百両を工面してくれたことをはなし、その金でお前の命が助かるのなら、娘は死ぬわけではないのでと、無理矢理百両を押し付けて、逃げるように帰ってゆく。
文七がおそるおそる主人の元に帰り、長兵衛からもらった金を差し出すと、それはおかしい、お前が遣いにいった先で碁に熱中するあまり、売り上げをそっくりそのまま忘れてきてしまったものを、先方は既に届けてくれて金はここにある、一体どこから、また別の百両が現れたのかと、主人が問いただすと、文七はことの顛末を、慌てて白状する。
翌日、卯兵衛は何やら段取りを済ませ、文七をお供に長兵衛の長屋へと赴く。実は文七が粗相をやらかし…と、事の次第を説明し、百両を長兵衛に返そうとするが、長兵衛は、江戸っ子が一度出したものを受け取れるか!と受け取らない。もめた挙句に長兵衛ようやく受け取り、またこれがご縁ですので文七を養子に、近江屋とも親戚付き合いをと、祝いの盃を交わし、肴をと、表から呼び入れたのが、近江屋が身請けをしたお久。後に、文七とお久が夫婦になり、近江屋から暖簾を分けてもらい、元結いの店を開いたという。