島津用久
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島津用久(しまづもちひさ、応永8年(1401年) - 長禄3年(1459年))は、室町時代中期の薩摩の人。好久とも。薩摩守護島津氏の分家、薩州家の初代当主。父は島津宗家8代当主、島津久豊。官は薩摩守。子に島津国久(2代)、島津延久、女(島津宗家10代島津立久の室)。
薩摩島津氏の分家、薩州家の初代当主。島津宗家8代当主、島津久豊の次子。出水亀ヶ城城主。用久が薩摩守を称したことから、彼の家は「薩州家」と呼ばれた。島津宗家9代当主で兄の島津忠国は、本家相続後に領国内で度々反乱が発生したため領地経営に自信を失い妻の実家で隠居。用久は守護代に任じられ反乱勢力を鎮圧、領内をまとめた。しかし忠国は家中の人望が用久に集まるのを妬み、忠国との仲は悪化。嘉吉元年(1441年)、兄との争いを避けるため用久は忠国に全権を譲り領地である出水に引き揚げた。しかし忠国は用久を追放しようとしたため、用久は叛旗を翻し領内は混乱する。文安5年(1448年)に和解した。長禄3年(1459年)に死去。享年59。