山脇東洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山脇 東洋(やまわき とうよう、宝永2年12月18日(1706年2月1日) - 宝暦12年8月8日(1762年9月25日))は、江戸時代の医学者。実験医学先駆者の一人。東洋は号で、本名は清水尚徳。字は玄飛。
京都出身。後藤昆山から、理論よりも実践を重視する古医方を学ぶ。カワウソの解剖から陰陽五行説に基づく人体の内景に疑問を抱き、1754年(宝暦4年)閏2月、京都所司代の許可を得て死刑囚の解剖、観察を行う。宝暦9年(1759年)にはその成果を解剖図録『蔵志』として刊行。漢方医による五臓六腑説など、身体機能認識の誤謬を指摘した。
吉益東洞ら古医方においても人体解剖には抵抗が強かったため批判を浴びるが、国内初の人体解剖は蘭書の正確性を証明し、医学界に大きな影響を与える。東洋の影響を受け、杉田玄白、前野良沢らはより正確性の高いオランダ医学書の翻訳に着手する。
カテゴリ: 日本の医学者 | 1705年生 | 1762年没 | 人名関連のスタブ項目