山科 言行(やましな ときゆき、寛永9年10月22日(1632年12月3日) - 寛文5年4月22日(1665年6月5日))は、江戸時代前期の公家。山科言総の養子、藤谷為賢の三男。山科持言、四条隆安の父。
娘を鷹司房輔・一条兼輝の2人の摂関家当主に嫁がせるなど婚姻政策に力を入れたが、参議在任中に34歳の若さで病死した。
カテゴリ: 人名関連のサブスタブ | 江戸時代の公家 | 1632年生 | 1665年没