山田パンダ
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山田 パンダ(やまだ ぱんだ、本名 山田 嗣人、やまだつぐと、1945年5月13日 - )は、フォークシンガー・元かぐや姫メンバー。佐賀県神埼市(旧神埼郡千代田町大字崎村字黒津)生まれ。のち福岡にうつり、久留米大学附設中学校・高等学校中退(高等学校時)、福岡県立嘉穂高等学校を経て明治大学工学部(現・理工学部)卒。シュリークスから第二次かぐや姫に参加。ボーカルとベースを担当。かぐや姫解散後も音楽活動を続け、吉野恵子・山田智秀(弟)の三人で「パンダフルハウス」を結成したほか、山本コウタローと「山本山田」としても活動。「バージンブルー」をヒットさせたSALLYのプロデュースなども手懸けたが、その後主夫業に専念し「山田パンダの保父してみたら」を出版。
2000年に「かぐや姫」の再結成に参加したことが起因となり、2001年池田森・山田勝久(パンダ氏のご子息)と「PANDA//SON(山田パンダとパンダさん)」を結成。
2005年に還暦を迎え、60歳となったことを公表したが、いままでは吉田拓郎より年下ということで、1946年生まれとしていた。これはデビュー時に師と仰ぐ拓郎が、自分より年下ではマズイ、と同学年としてきた。そのためずっとタメだと思ってきた拓郎からは「おい、バカやろー」と呼ばれ続けてきた。 人気曲はかぐや姫時代の「黄色い船」「こもれ陽」「眼をとじて」「おはようおやすみ日曜日」、ソロの「風の街」など。