山下実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山下実(やました・みのる、1907年3月20日-1995年4月4日)は、昭和・戦前期に活躍したプロ野球選手。抜群の打撃力で鳴らし、甲子園、東京六大学野球、草創期のプロ野球で活躍した。
[編集] 来歴・人物
1907年生まれ。第一神港商業学校(現神戸市立神港高等学校)在学中に甲子園に出場。このころ、すでに強打者としての実力が開花しており、完成直後の甲子園球場で大ホームランを放ち、「怪物」といわれた。甲子園球場第1号のホームランを打った選手でもある。卒業後は慶應義塾大学に進学。
人気絶頂期の東京六大学野球で、打撃力にさらに力をつけ、1929年秋のリーグ戦で首位打者を獲得。慶應在学中はリーグ優勝を4度経験し、完全優勝も達成。宮武三郎、水原茂らとともに、人気・実力の両面で、戦前の慶應黄金時代の一角を担った。当時、アメリカ・メジャー・リーグで大活躍していたベーブ・ルースにちなみ、山下自身、「和製ベーブ」の異名をとった。1931年と1934年に、大リーグ選抜が来日した際は、2度とも全日本チームのメンバーに選ばれた。
大学卒業後、1936年、大阪阪急野球倶楽部(当時は阪急軍、のちの阪急ブレーブス)結成に加わり、一時期、現役選手と監督を兼任した。プロでは、1936年秋季リーグ戦では、藤村富美男(大阪タイガース)、古谷倉之助(名古屋金鯱軍)とともに、本塁打王のタイトルを分け合った。
[編集] プロ野球での成績
- 実働6年 239試合、798打数、208安打、19本塁打、142打点、94三振、打率.261。
[編集] 獲得したタイトル(プロ野球)
カテゴリ: 日本の野球選手 | 慶應義塾大学野球部の選手 | オリックス・ブルーウェーブ及びその前身球団の選手 | 野球殿堂 | 野球監督 | 兵庫県出身の人物 | 1907年生 | 1995年没