小路晃
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小路 晃(しょうじ あきら、1974年1月31日 - )は日本の総合格闘家である。富山県魚津市出身。172センチ、90~83キロ。
少年時代から柔道を経験し、高校時代は村上一成と同じ柔道部で鎬を削る。 中京大学進学後、全日本学生体重別選手権でベスト8まで進出。
学生時代に知り合った青柳政司に薦められ、1995年誠軍団1号としてプロレスデビュー。マスクマンとして東京プロレスで活躍。
その後、村上の勧誘で和術慧舟會へ入門。1996年11月、骨法との対抗戦である大原学戦でデビュー。当時は癒着していた格闘技雑誌への露出も多く、敗れたとはいえペドロ・オタービオとの対戦経験もある大原の圧勝と思われたが、予想を覆し一方的に攻め込んでのドロー(判定なし)。 翌年7月に開催されたトーナメント・オブ・Jでは優勝候補の筆頭に挙げられたが、リングス参戦経験のある辻嘉一に判定負け。
1997年10月にPRIDE1に参戦、賭けが成立しないほどに不利と予想されていたヘンゾ・グレイシーを相手に殊勲のドロー、一躍格闘技界にその名前を轟かせる。1998年10月にはヴァリッジ・イズマイウにTKO勝ち、1999年7月には元パンクラス&UFCトーナメント王者のガイ・メッツァーに判定勝ちを収め、日本を代表する総合格闘家の一人に。
2000年のPRIDEグランプリでは開幕戦でエベンゼール・ブラガに判定勝ち、2回戦では優勝したマーク・コールマンに判定負けを喫したものの、圧倒的に不利な体格差にも気後れすることもなく果敢に戦う姿はファンのみならず、選手間の評価も高く「ミスターPRIDE」と称えられた。
2000年12月のヒカルド・アルメイダ戦から精彩を欠いたファイトが続き、黒星が続くようになる。2003年12月のムリーロ・ニンジャ戦を最後にナンバーシリーズで試合は組まれず、階級を落として臨んだPRIDE武士道でも連敗が続いた。PRIDEのリングは2005年4月の武士道6が最後。その後も三崎和雄に秒殺負けを喫し、限界説が唱えられるが2006年8月、海外でトッド・メディーナに快勝。復活が期待される。
2001年、慧舟会を離脱。フリーとなり一時はプロレス参戦が実現寸前まで至った。