小笠原貞顕
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小笠原 貞顕(おがさわら さだあき、享保19年10月17日(1734年11月12日) - 享和2年2月20日(1802年3月23日))は、豊前国小倉新田藩(千束藩)の第3代藩主。父は第2代藩主・小笠原貞通(貞顕は六男)。母は側室の藤井氏。正室は小笠原長庸の娘。官位は従五位下。備後守。弾正少弼。備中守。
1734年10月17日、江戸にて生まれる。幼名は亀之助。1747年、父の死去により後を継いで藩主となった。大坂加番などを努めた後の1782年8月19日、三男の小笠原貞温に家督を譲って隠居し、1802年2月20日に69歳で死去した。墓所は北九州市小倉北区の開善寺。