ノート:小田原の役
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[編集] 記事名について
[編集] 移動した理由について
移動した理由はなんでしょうか?Maakun2005年10月20日9時31分(UTC)
「小田原征伐」とは、あまりにも豊臣氏側からの一方的な立場からの呼称であるので、ウィキペディアに合わせて中立的な呼称に移動しました。「朝鮮征伐」とはもはや呼ばないでしょう。同じことです。ゐ 2005年10月23日 (日) 12:37 (UTC)
では九州征伐などはどうなのでしょうか?Maakun2005年10月24日6時42分(UTC)
これも九州の役という呼称があります(by旧参謀本部)。そちらも移動してよいですか?(あるいは九州攻め?)。おっと、四国征伐もありますね。これも、四国の役または四国攻めかな? ゐ 2005年10月24日 (月) 12:46 (UTC)
この戦いは色々な名称があります、小田原の役、小田原征伐、小田原攻めなどがあります。調べてみたのですが戦国城と合戦 知れば知るほどには、「秀吉が小田原征伐を起こした」(P58)と書いてありますので小田原征伐の方が私は良いのではないかと思います。Maakun2005年10月25日5時21分 (UTC)
- 日本史の合戦名については、こちらの議論も参照。通俗歴史本一冊に記述があるのは論拠としてはちょっと・・もっと歴史教科書とか通史本、学術論文などで最近のの使用傾向を踏まえるべきかと。個人的には「征伐」は避けるべきかと思いますけどね。--でここ 2005年10月25日 (火) 12:47 (UTC)
「征伐」・「征討」については、(引用されている所か)どこかで統一ルールを決めて、それに合わせましょう。他のページでも指摘されているように、「征伐」「征討」というのは中立的ではないと思います。ゐ 2005年10月25日 (火) 13:36 (UTC)
ノート:小牧の役#この名称は正しいのかにて、ゐさんが項目名を変更された名称について議論しています。改名タブではここで議論となっていますが、「ノート:小牧の役」の方で一括議論をしたいと思いますのでお願いします。 --A6M4 2005年10月27日 (木) 11:04 (UTC)
当記事「小田原の役」と「小牧の役」とでは移動の理由が異なるので、A6M4さんのご意見には賛同しかねます。とくに反論がなければ、「九州征伐」「四国征伐」も移動します。それとも「井戸端」みたいなところで議論した方がよいのかな。今のところ、2(役)対1(征伐)のようですが。ゐ 2005年10月27日 (木) 12:50 (UTC)
- 追記:NPOVの観点から「~征伐」の記事名を放置して良いものかどうか、合意を得る必要があると思います。「~征伐」でなくなった記事を「~征伐」に戻すというのは疑問です。ゐ 2005年10月27日 (木) 13:49 (UTC)
- 名称移動はやめてください。これ以上似たような議論の元を増やしてどうしようと言うのですか。せめて、どちらかの議論の結果が出た後、各項目のノートで同意を得てからにしてください。 --A6M4 2005年10月28日 (金) 13:42 (UTC)
あまり関係ないかもしれませんがインフォシークの辞書では小田原征伐と表記されています。 またyahooも小田原征伐と表記されています。 Maakun2005年10月28日1時18分 (UTC)
「各項目のノート」ではなくて、(上述したように)「征伐」・「征討」については、どこかで統一ルールを決めて、それに合わせましょう。場合によっては、「征伐」・「征討」が他にもあるかどうか洗い出す必要があるでしょうが。ゐ 2005年10月31日 (月) 14:30 (UTC)
歴史的名称は可能な限り尊重するべきだと考えます。朝鮮征伐が使われないのは政治的判断であって、学問的見地からの判断ではありません。小田原征伐という呼称が政治的問題となっていない以上歴史的名称を優先させるべきと考えます。 --Extrahitz 2005年11月15日 (火) 18:49 (UTC)
征伐とは、「悪者を討つ」という意味ですし、ウィキペディアの中立性の観点に抵触すると考えます。「小田原の役」「小田原の陣」「小田原攻め」など、他に言い換える呼称がいくつもあるのですから、「征伐」にこだわる必然性はないと思います。「小田原征伐」が歴史的名称として最善ともいえないのではないでしょうか。ゐ 2005年11月16日 (水) 14:32 (UTC)
- 同意です。征伐反対。 --忠太 2005年11月16日 (水) 16:08 (UTC)
- 「朝鮮征伐」と「小田原征伐」は根本的に異なる。前者が問題なのは、外国を日本の国法違反(「惣無事令」など)を理由に攻撃した事である。後北条氏は戦国大名といえども朝廷の官職を得て日本の元号を使用している日本国内の法体系下にある勢力なので法律違反かつ朝廷の許可があれば、当然に「征伐」可能な勢力である(「長州征伐」も江戸幕府の法に違反して朝廷の勅許を得ているので可能)。もっとも、私は公的な正式呼称が無かったり、複数考えられるケースであれば一般的に使用されているケースが望ましいと言う立場なので改称した方がいいという意見が多数ならばあえて反対は唱えません。--水野白楓 2005年12月23日 (金) 02:52 (UTC)
現実に歴史的名称である「小田原征伐」という呼称をもって「後北条は悪玉であり秀吉は正義である」と理解する現代人が存在するでしょうか?歴史用語に関する中立性とは、歴史的に使用されている呼称をそのまま使用し、それにたいして一定の思想のもとから人為的な操作を行うことは中立性を害します。
なおgoogle検索結果によりますと
Results 1 - 100 of about 18,900 for 小田原攻め
Results 1 - 100 of about 14,300 for 小田原征伐
Results 1 - 100 of about 598 for 小田原の役
Results 1 - 100 of about 469 for 小田原の陣
Results 1 - 100 of about 581 for 関東征伐
Results 1 - 100 of about 198 for 北条征伐
であり、小田原の役(または陣)は上二者に比べて一般的な呼称ではないようです。 (書名忘れ追加)--Extrahitz 2005年11月16日 (水) 16:02 (UTC)
小田原合戦がいいと思います
(参考)国会図書館の蔵書検索を見ると、
- 『小田原合戦』(相田二郎 1976 小田原文庫)
- 『小田原合戦』(下山治久 1996 角川選書)
- 『日本の戦史』(参謀本部編纂)では「小田原の役」
- 小田原征伐…なし
確認はしてませんが、『小田原市史』も「征伐」は使ってないでしょう。 --忠太 2005年11月17日 (木) 12:41 (UTC)
小田原の役は上杉の小田原攻め、武田の小田原攻め、北条早雲の小田原攻めなどははいるのでしょうか? Maakun 2005年11月18日 (金) 01:07 (UTC)
「小田原の役」は秀吉によるものだけです。「征伐」は地元の人にとっては不快でしょうから、わざわざ使わなくても良いでしょう。ゐ 2005年11月21日 (月) 14:22 (UTC)
- 小田原で改称運動が起きているという話は聞きません。明治に政権をとった薩長藩閥も「九州征伐」「長州征伐」を改称させませんでした。まして「征伐」なる語がアナクロなものになり歴史用語以外の何者でもなくなった現代において改称の必要性は存在しないと考えますが。--Extrahitz 2005年11月28日 (月) 04:17 (UTC)
- 小田原市の公式サイトでも小田原合戦であり、小田原征伐は使っていません。そんなことをわざわざ宣言するまでもないでしょう。 --忠太 2005年11月28日 (月) 12:46 (UTC)
小田原合戦はGoogleの検索によると325件でしたので一般的な呼称ではないと思います。 Maakun2005年11月22日 (月) 6:17 (UTC)
- 単行本も出ており、十分通用するといえるのでは。 --忠太 2005年11月22日 (火) 13:50 (UTC)
しかし他の項目の方が小田原合戦を圧倒していますので、一般的な名称ではないと思います。2005年11月23日 (水) 05:04(UTC)
[編集] 元の名称へ戻す
ノート:小牧の役でも元に戻すことなっているらしいのでこちらもいったん小田原征伐に戻した方が良いのではないかと思いますがどうでしょうか?Maakun2005年11月25日 (金) 15:25 (UTC)
- 絶対反対。 --忠太 2005年11月26日 (土) 14:40 (UTC)
- 反対。小牧の役とは事情がちがいます。ゐ 2005年11月27日 (日) 13:48 (UTC)
- 賛成です。「小田原攻め」は検索ヒット件数こそ多いですが語義の曖昧性があり記事タイトルには向かないと思います。--Extrahitz 2005年11月28日 (月) 04:17 (UTC)
- 「小田原攻め」でいくつもの大辞典に立項されていますから、何ら問題ないと思います。「小田原征伐」は最近の辞典では使われなくなっているから学界的にも不可でしょう。ゐ 2005年12月2日 (金) 15:08 (UTC)
[編集] 小田原攻め
- 最近出た大部の『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館)、あるいは『日本史広辞典』(山川出版社)など主要な専門事典ではみな「小田原攻め」が使われています。Google検索数も「小田原攻め」がダントツですし、「小田原攻め」を落とし所としてはいかがでしょうか。(専門書では「小田原合戦」が使われていますが。) それから他の「征伐」ですが、
-
- ×紀州征伐 → ○紀州攻め・紀州平定
- ×中国征伐 → ○中国攻め・中国平定
- ×九州征伐 → ○九州攻め・九州平定
という最近の傾向があります。秀吉の「~征伐」は「~攻め」に置き換えて良いと思われます。異論がなければ、そのようにそろえます。ゐ 2005年12月2日 (金) 14:18 (UTC)
- (反対)ネット上の「小田原攻め」のばあい「秀吉の小田原攻め」とか「小田原攻め(秀吉)」とか注釈つきで出てくる場合が多いですが、実際注釈をつけないと語義が曖昧かと思います。九州攻め・九州平定なんで言われると足利尊氏やら今川了俊やらがまず思い浮かびますが。--Extrahitz 2005年12月2日 (金) 14:52 (UTC)
- ネット上はともかく、上記の専門大辞典などでは「小田原攻め」で秀吉のものを立項していますから、問題ないと思います。他の小田原攻撃については、「曖昧さ回避」ページか山手線方式で示せば住むことでしょう。「九州攻め」「九州平定」も同じことで、足利尊氏や今川了俊などは辞典の記事には全くなっていませんよ。ゐ 2005年12月2日 (金) 15:08 (UTC)
- 小田原征伐だけはどんなことがあっても阻止 --忠太 2005年12月2日 (金) 15:30 (UTC)
[編集] 関東平定では?
小田原城が北条氏の根拠であり、主戦場であったのは史実であるが、あくまでもこの戦いは豊臣政権による関東平定戦であり、小田原城の攻防はその1エピソードに過ぎない。だから、北条氏とその与力大名の討伐と処分、領国再編成までを行って豊臣政権のこの戦いに関する戦略目標を完結させることになったのだから、ここでは「関東平定」が正しい項目名ではないのだろうか?--210.196.189.19 2006年1月13日 (金) 09:51 (UTC)
- 他の項目は四国平定・九州平定なのに、小田原の役(小田原征伐)だけ地方名ではなく一地域名になっているのは疑問です。--水野白楓 2006年1月14日 (土) 09:43 (UTC)
- 秀吉の各地の平定戦役を「~平定」という表記で統一する合意ができるなら、
- ×紀州征伐 → ○紀州平定
- ×中国征伐 → ○中国平定
- ×九州征伐 → ○九州平定
- ×小田原征伐→ ○関東平定
とできますね。ただしその場合、小田原城攻城戦の記述を「関東平定」記事内だけで扱うか?別に独立の項目として立てることも可か?という択一でもめないようにしたいですが。ゐ 2006年1月14日 (土) 15:05 (UTC)
- ただし、この戦いは小田原城においては城門近くの小競り合いを除けば、石垣山一夜城の例でも分かるようにあくまでも小田原城は籠城戦が主体で最終的には陥落すること無く開城しているので書く記事は限られると思います。むしろ激しかったのは忍・山中・韮山と言った支城の攻防戦とかの方だと思われます。--210.196.189.19 2006年1月27日 (金) 08:26 (UTC)
- 「関東平定」にすることには異存はありません。できれば「九州征伐」「四国征伐」も変更したいところです。ゐ 2006年2月1日 (水) 13:54 (UTC)
- 「平定」も豊臣側からの一方的な見方になりませんか?平定ということばは反乱を鎮めるっていう意味で使うんじゃないかと思うんですが。Red Star Belgrade 2006年3月2日 (木) 10:06 (UTC)
- ただ、実際の歴史においては豊臣政権が、当時の法的合法性をもって日本の再統一政権を打ち立てているわけですから、それは問題ないかと思います。あと、微妙に関わってくる話なのですが、四国征伐について伊予国の部分だけで天正の陣なる項目が立てられてしまっており、記事が別箇に存在している状態になっているため、統合提案をさせて頂いております。そちらに関してもご意見をいただければ幸いです。--水野白楓 2006年3月6日 (月) 12:02 (UTC)
- "豊臣政権が、当時の法的合法性をもって日本の再統一政権を打ち立てている"から「平定」で問題ないっていうなら「征伐」だって問題ないってことにならないかな。Red Star Belgrade 2006年3月7日 (火) 05:14 (UTC)
- みなさんが言われるように、「征伐」は今は使いませんよ。関東平定じゃないですか。Nerimaman 2006年6月20日 (火) 00:04 (UTC)
[編集] 高校の歴史教科書
横から失礼します。ここのように項目名でもめる場合は、原則として「高校の歴史教科書で主に用いられる名称を選択する」ということにしてはいかがでしょうか?専門家を除けば、日本語読者は高校教科書で用いられた用語を基礎知識としているのではないかと思われます。 現在の日本でもっとも広く用いられていると聞く山川出版社の『詳説日本史B』(手元の教科書は2002年検定分)で秀吉関連の項目を見てみると「山崎の合戦」「賎ヶ岳の戦い」「小牧・長久手の戦い」「紀伊平定」「四国平定」「九州平定」「小田原攻め」「奥州平定」「文禄の役・慶長の役」・・・のようになっていました。(平定と役の違いはなんとなくわかる気がするのですが、合戦と戦いの違いは何なのでしょうね? 合戦と攻めのちがいは、「攻め」は一方が攻めて行き、合戦は両方からやってくる、という違いでもあるのでしょうか?)--miya 2006年3月15日 (水) 06:00 (UTC)
「征伐」は最近の事典類では使われなくなってきていますから、除外してよいでしょう。Miyaさんの問いですが、「ノート:小牧・長久手の戦い」でもふれたように、日本史学界が用語を整理できていないことからくる混乱ですね。「平定」に難ありなら、「攻め」で統一するということにしませんか。
- ×小田原征伐→ ○小田原攻め
- ×紀州征伐 → ○紀州攻め
- ×中国征伐 → ○中国攻め
- ×九州征伐 → ○九州攻め
↑これで統一ということでいかがでしょう。ゐ 2006年3月21日 (火) 12:58 (UTC)
[編集] 「曖昧な言葉への言い換え」を「中立的」だと思うのは大いなる誤解
意見が収束しつつあるみたいで、このタイミングで蒸し返すようなコメントかも知れませんが……呼称にまで「中立」の概念を立ち入らせようとするゐ氏の基本スタンスは「ちょっとやり過ぎ」の感を抱きます。 呼称は歴史的に言い慣わされてきたものに準拠すべきで、それが「歴史上の特定の勢力からの観点に偏ったもの」であるのは、殊に歴史という題材である限り、在って当たり前で殆ど不可避です。ですので、これを徒にいじろうとするならば、歴史自体を曖昧化、拡散化させてしまう危険性が低くないと思います。中立性は内容で補完するべき性質のものです。ウィキペディアの基本スタンスであるので「中立的」は大事なポイントですが、と同時に事典の使命として「物事を的確、端的に言い表わす」事も考慮されるべきです。実験の検証結果によって端的に言う事が担保されていると思われている科学の分野ですら「その実験セオリーという『特定の観点』」からの見方である以上にはなり得ないという事実を忘れてはいけないと思います(だから論文には実験セオリーの詳細を記することが必須とされるのです)。つまり「特定の観点」を避けようとし過ぎることは「観点を持たない → 何も意味ある事を記述ができない」に陥る危険性が低くないのです。Yumesaki 2006年4月3日 (月) 04:17 (UTC)
- 現に歴史学でも用いられなくなりつつあるし、曖昧にしている訳でもなく、特に問題ないと考えます。 --忠太 2006年4月3日 (月) 13:51 (UTC)
[編集] ノート「征伐」
- 私の意見は上に示しましたが、ウィキペディア全体的な議論の場としてノート:征伐を設けました。