小泉信吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小泉信吉
- 小泉信吉(こいずみ のぶきち) 慶應義塾塾長、横浜正金銀行支配人。嘉永2年2月3日(1853年3月12日) - 明治27年(1894年)12月8日
- 小泉信吉(こいずみ しんきち) 小泉信三の長男。1.の孫。第二次世界大戦で戦死。
以下、1について詳述。
[編集] 小泉信吉(こいずみ のぶきち)
慶応義塾塾長。横浜正金銀行支配人。
紀伊国和歌山藩士・小泉文庫の子として生まれる。江戸(現在の東京)に出て慶応2年(1866年)に当時、福沢諭吉が開いて間もない蘭学塾(のちの慶應義塾)に入り、洋学を学んだ。
長じて開成学校教授に就任。明治9年(1876年)イギリス・ロンドンに留学した。明治11年(1878年)に帰朝し大蔵省に務める。明治12年(1879年)横浜正金銀行が設立されると、副頭取となり経営に携わる。明治14年(1880年)に大蔵省に戻り、奏任御用掛、主税官を歴任する。また、明治23年(1890年)日本銀行取締役に就任。明治25年(1892年)には横浜正金銀行本店支配人に就任した。この間、明治22年(1889年)に慶應義塾塾長となる。翌明治23年に慶應義塾に大学部を創設し、私立の大学としての基礎を固める。