富山高等学校 (旧制)
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旧制富山高等学校(きゅうせいとやまこうとうがっこう)は、現在の富山大学の前身の一つとなった7年制の旧制高等学校。初代校長は旧制第三高等学校の教授であった南日恒太郎である。所在は現在の富山市蓮町付近であった。
現在、旧制富山高等学校の跡地は「馬場記念公園」となっており、大木の並木などが往時を偲ばせるが、富山大学の敷地とはなっていない。
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[編集] 沿革
- 1923年(大正12年):富山県は文部省に公立7年制高等学校設立を申請、文部省により設立を認可。
- 1924年(大正13年)4月:尋常科(修業年限4年)開学。初代校長は南日恒太郎。
- 1925年(大正14年)4月:高等科(修業年限3年)開学。
- 1932年(昭和6年):左翼学生処分。37学生が検挙され13学生が放校・退学。
- 1943年(昭和18年)3月:官立に移管し尋常科の募集を停止。
- 1946年(昭和21年)3月:最後の尋常科生卒業により県立富山高校廃止。
- 1949年(昭和24年)5月:新制富山大学設立により官立富山高校は包括される。
- 1950年(昭和25年)3月:官立富山高校廃止。
[編集] 設立の経緯
1923年(大正12年)、当時の皇太子(昭和天皇)結婚の記念行事として、同地の廻船問屋の妻である馬場はる子が高等学校設立事業費として、当時としては破格の100万円(現在の100億を超える金額)という寄付を申し出、これを基金として富山高校が設立された。
[編集] 寮歌
『富山高等学校寮歌 丘の団欒(まどい)』 ああよし、さらば友びとよ また、かの丘に集いして 情けの美酒(うまき)、酌み交わし 歌いあかさん、春の夜を