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富士ヶ根部屋(ふじがねべや)は、かつて存在した相撲部屋。
高砂部屋の小結若湊義正(大正11年に引退)が独立して部屋を創立、昭和13年(1938年)1月場所に富士ヶ嶽を入幕させた。しかし、親方は1941年11月に死去、富士ヶ嶽改め若港三郎が二枚鑑札で部屋を継承、新十両を決めていた東富士謹一を大関にまで育てた。若湊は1945年(昭和20年)11月限りで引退し、年寄専任となったが、間もなく部屋を閉じ、東富士を本家高砂に預けて、自分は時津風部屋所属の年寄として停年まで過ごした。