奥宮健之
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奥宮 健之(おくのみや けんし、1857年12月27日(安政4年11月12日) - 1911年(明治44年)1月18日)は、日本の社会運動家。
土佐国土佐郡布志田村に生まれる。自由民権運動で活躍し、人力車夫を糾合する「車会党」を結成する。
幸徳事件で刑死。墓は、東京都豊島区の都営染井霊園にある。
[編集] 著作史料
- 阿部恒久編『奥宮健之全集』上(著書・論稿)、弘隆社、1988年5月。ISBN 4-906287-07-7
- 阿部恒久編『奥宮健之全集』下(翻訳・関係文書)、弘隆社、1988年5月。ISBN 4-906287-07-7
[編集] 参考文献
- 阿部恒久「奥宮健之訳『共和原理』の原著者について」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
- 絲屋寿雄『奥宮健之』(『紀伊國屋新書』B-51)、紀伊國屋書店、1972年9月。
- 絲屋寿雄『自由民権の先駆者-奥宮健之の数奇な生涯』、大月書店、1981年10月。
- 絲屋寿雄「奥宮健之の妻・吉田さが」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
- 梅森直之「歴史的経験としての「近代」-奥宮健之『獄裏之我』を中心に」、『初期社会主義研究』第8号(特集=冬の時代)、1995年7月。
- 大野みち代「身辺の奥宮健之資料」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
- 都築久義「尾崎士郎の自画像」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
- 中島丈博「奥宮健之の滑稽と悲惨」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
- 長谷川昇「名古屋事件と奥宮健之」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
- 山泉進「奥宮健之と幸徳秋水」、『彷書月刊』第2巻第2号(通巻第5号 / 特集=奥宮健之)、1986年1月。
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