大津皇子
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大津皇子(おおつのみこ、663年(天智天皇2年)~686年10月28日(朱鳥元年10月3日))は天武天皇皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女。
663年に九州の那大津で誕生。大津皇子は、『懐風藻』によると、「体格や容姿が逞しく、寛大。幼い頃から学問を好み、書物をよく読み、その知識は深く、見事な文章を書いた。成人してからは、武芸を好み、巧みに剣を扱った。その人柄は、自由気ままで、規則にこだわらず、皇子でありながら謙虚な態度をとり、人士を厚く遇した。このため、大津皇子の人柄を慕う、多くの人々の信望を集めた」とあり、有能で人々の人気を集めていた人物だった事がわかる。686年(朱鳥元年)に天武天皇崩御の後、親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸で死を賜った。享年24。『万葉集』と『懐風藻』に辞世が残っている。『懐風藻』には天武天皇の長子とある。 事件の背景には、皇子の存在そのものが自らが生んだ皇太子草壁皇子の即位の障害になると見た鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の意向があったといわれている。
大阪府と奈良県の境にある二上山の雄岳頂上付近に墓がある。また、葛城市側の麓にある鳥谷口古墳は実際の墓である可能性が高い。
奈良・薬師寺には大津皇子坐像<奈良国立博物館寄託> (重要文化財)が伝わっている。
[編集] 大津皇子が登場する作品
[編集] 小説
- 釈迢空の小説「死者の書」(当麻寺の中将姫伝説に基づく小説)では、天若日子の生まれ変わりとして、二上山へと横佩家の藤原郎女を呼ぶ。草壁皇子も思いを寄せていたと言われる石川郎女との相聞歌が『万葉集』に残されている。
[編集] 漫画
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