大嶺駅
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大嶺駅(おおみねえき)は山口県美祢市大嶺町奥分に存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)美祢線大嶺支線の駅(廃駅)である。山陽鉄道・厚狭~大嶺間が開通した1905年9月13日に開設されたが、沿線の過疎化や大嶺炭鉱の閉山などで需要が減り、JR美祢線大嶺支線(南大嶺~大嶺間、2.8km)の廃止に伴い1997年4月1日に廃駅になった。
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[編集] 駅名の由来
- 駅のある地域の村の名前(美祢郡大嶺村)から。
[編集] 駅の様子
- 大嶺炭鉱が栄えていた当時は側線が何本もあったが、閉山後は次々と撤去され、廃止前には線路は一本のみになった。
- プラットホームは線路の西側に一つあるだけだった。駅舎はプラットホームの西側にあったが、廃止前には既に無人化されていた。
- プラットホームの礎石に「12M15CH」の文字が刻まれていた。「12マイル15チェーン」と読み、メートルに換算すると19,613.88m、キロに直せば約19.6kmとなる。この距離は厚狭~大嶺間の距離(廃止当時の営業キロは19.7km)とほぼ等しく、山陽鉄道の路線として開業した際に記念に刻まれたことやイギリスの技術を用いて日本の鉄道が建設されたことを示している。この礎石の示す地点は、廃止当時の停車場中心とも一致していた。
- なお、隣接する南大嶺駅にも同じく礎石が残っていたが、大嶺支線廃止に伴うホームの埋め立てによって現在は見ることができない。また、南大嶺駅の礎石の地点は、現在の停車場中心と若干離れていた。
- 現在、駅の跡地は駅舎・プラットホーム等がすべて撤去され、道路改良工事が完了した後には現道に替わって県道美祢油谷線の道路用地となる予定である。
[編集] 駅の周辺
- 駅の前を山口県道38号美祢油谷線が通っており、更にその先には厚狭川支流の麦川川が流れている。
- 山口県道38号美祢油谷線と駅の間は山口県道236号大嶺停車場線が結んでいたが、廃止のちょうど2年前の1995年3月31日山口県告示第262号で廃止され、美祢市道に降格した。別に大嶺支線が廃止されるから廃止したわけではなく、その時同時に廃止された駅に至る県道は他にもあった(山口県道236号大嶺停車場線を含めて19路線)ので山口県による県道路線の合理化が理由だと思われる。
[編集] 沿革
- 1905年9月13日 山陽鉄道(当時)・厚狭~大嶺間が開通する。当時の所在地表記は山口県美祢郡大嶺村奥分であった。
- 1906年12月1日 山陽鉄道が鉄道国有法によって国有化され、路線名称が山陽線に改称される。
- 1909年10月12日 国有鉄道路線名称制定により大嶺線に改称する。
- 1924年3月23日 伊佐駅(現:南大嶺駅、1949年1月1日改称)から分岐していた美禰線が於福~正明市駅(現:長門市駅、1962年11月1日改称)間の開通をもって全通したことに伴い大嶺線は美禰線に編入される。
- 1939年5月1日 美祢郡大嶺村が町制施行して美祢郡大嶺町になったことに伴い、所在地表記が山口県美祢郡大嶺町奥分に変更される。
- 1954年3月31日 美祢郡の伊佐・大嶺両町及び於福・西厚保(にしあつ)・東厚保(ひがしあつ)の各村、豊浦郡豊田前町が対等合併して美祢市が成立したことに伴い所在地表記が山口県美祢市大嶺町奥分に変更される(以後廃止までの43年間変更なし)。
- 1958年10月1日 山口県告示第644号の2により山口県道大嶺停車場線が認定される(その後1972年頃山口県道236号大嶺停車場線に改称)。
- 1963年10月1日 路線名称が美祢線になった上、区間の区分変更により厚狭~長門市間が本線、南大嶺~大嶺間が支線となる。
- 1987年4月1日 国鉄の分割・民営化により美祢線がJR西日本の路線に移行する。
- 1995年3月31日山口県告示第262号により山口県道236号大嶺停車場線が廃止される(山口県の県道路線整理が理由)。
- 1997年4月1日 JR美祢線大嶺支線が廃止され、大嶺駅も91年半の歴史に終止符を打つ。
[編集] 現状
[編集] 隣の駅
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 美祢線大嶺支線
- 南大嶺駅 - 大嶺駅