大友義長
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大友 義長(おおとも よしなが、1478年(文明10年)? - 1518年(永正15年))は豊後国の戦国大名。
大友氏の第19代当主。第18代当主・大友親治の子。正式な名のりは藤原義長(ふじわら・の・よしなが)。別名・親元、義親。
1501年、父・親治の隠居に伴って家督を継いだ。同年、将軍・足利義澄から豊後・筑後・豊前の守護に任じられた。1508年、大内義興が前将軍・足利義稙を擁して上洛すると、大内氏との和睦を図るため、義興を資金的に援助している。また、大友氏の内部を安定させるため、『義長条々』という分国法を定めた。1515年、子の大友義鑑に家督を譲って隠居したが、父同様に実権は握り続けた。しかし父・親治に先立って1518年に死去。
父の親治と共に、大友氏の戦国大名化を成し遂げた名君であった。