塙直之
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塙 直之(ばん なおゆき、1567年(永禄10年) - 1615年5月26日(元和元年4月29日))は、戦国時代、江戸時代の武将。
塙団右衛門の名で有名な勇将である。加藤嘉明の家臣として仕え、鉄砲大将として活躍した。嘉明に従って朝鮮出兵にも参加して活躍し、その功績により350石の知行を与えられている。しかし1600年の関ヶ原の戦いのとき、軍令違反により嘉明と対立し、そのもとを去った(一説には、嘉明が自身を重用しないのを恨んで、城門に恨みの漢詩を貼り付けて去ったとも言われている)。
その後、小早川秀秋や松平忠吉、そして福島正則らに仕えたが、いずれも旧主の嘉明の奉公構による邪魔が入って長続きせず、一時期は仏門に入っていた。1614年からの大坂冬の陣に豊臣方として参加して活躍したが、翌年の大坂夏の陣で和泉国にて浅野長晟の軍勢と戦って戦死した。
墓所は、現在の大阪府泉佐野市南中樫井(みなみなかかしい)地内、大阪府道64号和歌山貝塚線(熊野街道)沿いに存在する。