土井利里
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土井 利里(どい としさと、享保7年(1722年) - 安永6年8月10日(1777年9月11日))は江戸時代の大名。唐津藩主、のち古河藩主。京都所司代。
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生誕 | 享保7年(1722年) | |||
死没 | 安永6年8月10日(1777年9月11日) | |||
父母 | 父 : 土井利清 | |||
兄弟 | 兄 : 土井利延 | |||
子 | 養嗣子 : 土井利剛、土井利建、土井利見 養女 : 三保子(五島藩五島盛運室) |
父利清は土井家の分家の当主で、本家の唐津藩主・土井利実に子がなかったため、兄の土井利延が家督を相続していたが、利延が間もなく死去したため、利延の弟の利里が家督を相続した。
幕府では奏者番、寺社奉行をへて京都所司代にのぼり、老中の一歩前まで来たところ死去する。
利里も子に恵まれず、はじめ旗本久世広武の子を迎え利剛と名乗らせ養嗣子としていたが早世。
その後、川越藩主松平朝矩の子を迎え利建と名乗らせていたが安永4年廃嫡、ついで西尾藩主松平乗祐の子を利見と名乗らせ家督を相続させた。
墓所:茨城県古河市 正定寺
[編集] 経歴
- 1722年(享保7年) - 生まれる
- 1744年(延享元年) - 土井家相続(9月23日)
- 1759年(宝暦9年) - 奏者番
- 1762年(宝暦12年) - 古河に国替
- 1763年(宝暦13年) - 寺社奉行(2月18日)
- 1769年(明和6年) - 京都所司代(8月18日)
- 1777年(安永6年) - 死去、享年56
[編集] 官位位階
[編集] 関連項目
先代: |
古河土井家(土井宗家) |
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