和光晴生
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和光 晴生 (わこう はるお) 1949年生まれ、宮城県仙台市出身、仙台第三高校卒。慶応大学文学部中退。日本赤軍の元メンバー(2000年の日本移送以前に離脱している)。
1972年、映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の若松孝二監督作品で、最初のATG映画となる「天使の恍惚」で撮影助手を担当している。この「天使の恍惚」とは、東京を無差別爆破による都市ゲリラ戦を展開していくという、問題作だった。
1974年に、他の2人の日本赤軍メンバーと共に在蘭フランス大使館を襲撃(ハーグ事件)、1975年のクアラルンプール事件に際しては在マレーシア米国大使館の襲撃に加わった。和光が関与した両事件で、日本赤軍から日仏両政府に対して行われた要求によって、合計6人の囚人(日本赤軍メンバー、及び釈放後に日本赤軍に迎え入れられた他組織の日本人新左翼活動家)が超法規的に釈放された。
1997年、レバノンにおいて旅券偽造、不法入国などの罪で起訴され、禁固刑の確定・執行の後に国外追放、日本に移送された。日本ではハーグ、クアラルンプール両事件について起訴され、一審は2005年3月23日に東京地裁(裁判長・高麗邦彦)で無期懲役判決が下った。2006年現在高裁係争中である。
なお、和光はダッカ日航機ハイジャック事件にも参加したとも言われる(同記事で実行犯として名が挙がっている)が、2006年現在ダッカ事件での立件はされていない。